アラブの基礎知識! アラブ人と日本人の行動パターン,時間,挨拶,言葉の感覚をめぐって

文化摩擦と呼ばれる現象の多くは,互いの文化特有の物の考え方や見方をめぐる独断や理解不足などが原因とされる。アラブを訪れた日本人にアラブ人のイメージを尋ねると,優しい,親切,情が深いなどといったプラスのイメージの他,大雑把,マナーが悪い,冷たいというマイナスのイメージも聞かれる。なぜこのような両極端なイメージがあるのだろうか。自分自身としては,日本滞在24年が経つ今も,日本人の行動パターンをめぐっては多くの疑問符を付けたくなることがあり,その独特で,ときに曖昧な特徴や個性に困惑させられることもある。

アラブ人と接する際に日本人が常に困惑させられることの一つが,時間に関する感覚の違いである。アラブ人はなぜ時間を守らないのか。また時間をどのように捉えているのか。

そもそも,世界を見渡してみると,時間に厳しい文化もあれば,逆に時間に緩い文化もある。その違いはどこから来るのだろうか。文化人類学者のエドワード・ハールは,人間社会の文化とその視点によって時間の捉え方が異なると指摘する。時間に対する行動パターンには,M タイムと呼ばれる「monochromic time」(単一的時間)と,P タイムと呼ばれる「polychromic time」(多元的時間)の2種類があるとされる。

そして,Mタイム型の人は時間に正確なタイプで一度に1つのことしかしない性格を持っているのに対し,P タイム型の人は時間にルーズなタイプで,複数のことを同時に処理しようとし,人間関係を重視する性格を持っている。 つまり,日本人や欧米人のような文化圏の「Mタイム型」は,時間軸が1つと考える一方,アラブや南米のような文化圏の「P タイム型」は,時間軸が複数あると考える。そして,「M タイム型」と「P タイム型」が接する場面で,文化的摩擦が起きてしまう結果となる。

こうして時間感覚を巡る議論では「日本人は時間に正確,南米人やアラブ人などは時間にルーズ」と短絡的な結論に飛びついてしまう人がいる。

確かに日本人の時間に対する正確性は世界的にも定評があるが,24年に及ぶ日本暮らしにおける自身の経験では,日本人の時間規律の感覚に一つだけ矛盾に感じることがある。それは,「始まる」と「終わる」時間を守る姿勢のギャップである。 会社や学校に1分でも間に合わなかったら「遅刻」になる。事情は別にして,当然である。もちろん,こういうときに怒られても仕方がない。これは理解できる。しかし,会議の終わり時間や勤務の定時を守らない,または意識すらしない行動パターンと精神はどうしても理解に苦しむ。時間の正確さを得意とするにもかかわらず,終わりの時間にはルーズだと言える。そこには,物事の始めと終わりでは,その時間的な感覚に大きな矛盾とズレがあるのではないかと思えてくる。

アラブ人と挨拶の感覚をめぐって

日常生活的に日本人とアラブ人のそれぞれの行動パターンに現れる発想の違いとそのギャップの定番場面だと言えば,挨拶である。

今も昔も,どんな言語においても,人と人の挨拶行動は人間社会に普遍的に見られる現象である。「挨拶」は軽視できない,重要な「文化論」の一つとなり,人をつなげる大きな力となる。日本語の「挨拶」という言葉も,コミュニケーションの核心的な意味を秘めている。そもそも「挨」「拶」の両字ともが「近づく」という意味で,挨拶行動の本質を言い表している。しかしよく考えてみると,「お元気ですか」,「はい元気です,あなたはいかがですか?」,「ええ,元気です」などというような挨拶が日本人の間で日常的かつ頻繁に交わされることはあまりない。よほど長い間会わなかった人たちが再会したときなどに使うことが普通である。

アラブの社会では,挨拶は同じ社会に暮らす人々との距離を縮めるための手段だが,日本ではこれと異なるルールが社会的行動の力学を支配している。つまり,距離を保つことが,同じ社会の人々との関係においてバランスを保つために必要であり,双方に調和と平和を保証するものである。 他人への歓迎や関心を示すための大げさな笑顔や飾り立てた言葉は,日本的思考では,それが求められる幾つかの場面を除けば,さほど重要ではない。

最も重要なのは,「親しき中にも礼儀あり」と言われるように,繋がりや挨拶の程度を,あなたと他者を分ける社会的関係や距離の範疇に保つことである。 また,日本人は仕事とプライベートをきっちり分けたいという考え方を持っていたり,親しくない相手に個人的な情報を公開したくないという考えを持ったりしていることが分かった。そのことは日本人の挨拶行動に大きく影響していると考えられる。

一方,アラブ人は三度の飯よりおしゃべりが好きな民族である。そのため挨拶を交わす際にも,慌てず急がず,そして丁寧に相手の健康,家族,仕事など一つひとつについて「~はどうですか」と尋ねるのが大事な礼儀となっている。「アッサラーム アライクム」というアラブ世界の代表的な挨拶は「あなたに平和を」という意味の言葉だが,これは道端でもどこでも,出会ったどんな人とでも交わす基本的な挨拶の言葉。しかし大抵の場合,このひと言では終わらない。

「宗教とは,周りとどう接するかということそのもの」と考えるイスラム教の聖書であるコーランは,「あなたがたが挨拶された時は,更にそれより良い(丁重)な挨拶をするか,または同様の挨拶を返せ(Sorah An-Nisa (The Women) - Verses No.86)」と挨拶の大切さを伝えている。

また,「人(同胞)に微笑むこそ,善徳なり」と言葉だけでなく,身体動作を含む挨拶が人間関係や平和な社会作りにとって重要であると諭している。 日本人の挨拶観とは少し異なるかもしれないが,アラブ人にとっては,挨拶する相手が毎日会っている人であるからこそ,熱烈に時間をかけて挨拶し,身振り手振りで表現し,いかにあなたに会いたかったかと熱く伝えることが何より大切なのである。 ちなみに次の Quiz のようにちょっとしたアラブの礼儀作法に対する予備知識が必要となる場面がある。

Quiz:

部屋やエレベーターの出入りで,人と居合わせたら,アラブでは,「どうぞ,○側から」と「お先にどうぞ」に相当する意味の表現で,先に通るよう勧めます。その方向は「右」「左」のどうちらでしょうか。

A 右側        B 左側

解説: イスラム的な考え方では,右がよいほうとされています。物を渡すときなども右手を使うのが普通です。

 

アブダビの夜景、UAE

アラブ人とことばの感覚をめぐって

次はアラブ人と言葉の感覚に関する話である。私たちは人との関係のなかで,協力し,遊び,働き,争い,さまざまなことをするが,何をするにもことばが不可欠。世界中がことばの世界に生きている。 ことばがなかったら...なんて考えるととりとめもなく話題がそれてしまうので危ない,危ない。ごく簡単な会話を交わすときでも,言葉の使い方には自分でも気づいていないような文化的な意識が働いているものだ。

前に,朝日新聞の朝刊に「隣の山田君」という漫画が連載されていて,毎回示唆に富んだ内容でおもしろい。新聞がきたら,まず「隣の山田君」から読み始めるくらい楽しみにしていた。 「隣の山田君」の漫画にこんなシーンがあった。 「もし万一,仮に,ですよ。あなたがガンにかかってしまったり,交通事故にあったりしたら,あなたはそのときどうしますか?」 これは,そのマンガに出てくる山田君を,必死で保険に加入させようとする保険会社のセールスマンの言葉である。書き始めたのにその漫画のオチがどうなったのかちょっと思い出せないのが大変申し訳ないのだが,私も山田君のように保険に加入することをある日思い立ったのである。

ところが,いざ保険会社の担当者が我が家にやって来て,詳しい説明をするのを聞いて,私は疲労困憊してしまった。豊富な資料を山ほど抱えてやって来た保険会社の担当者は,「ガン保険で何日間,入院の費用が支払われる」とか,「交通事故に遭った場合の補償」とか,「死亡補償」とか,人生最悪の事態を想定した「なんとかウルトラ型保険」について力説した。

彼は,「だから将来は安心ですよ」と言っているつもりなのだろうが,私は「ガン」「交通事故」「死亡」などと将来への不安を煽る彼の言葉に非常に暗い気持ちになってしまい,保険の話どころではなくなってしまった。 日本人なら,保険の説明を聞けば,さまざまな状況を想定した豊富な補償に安心感を覚えるだろうが,加入相手がアラブ人となれば,話は別ではなかろうか。

というのも,アラブ人は,病気,死,災害など,不吉な言葉を口にするのを好まない。それは,おそらくアラブ人が,言葉には不思議な力が宿っていて,口にした言葉が将来に影響を及ぼしてくると考えるからである。 ガン,事故,死亡など不幸を予感させるような言葉は,言葉通りに実現するという,いわゆる「ことだま」のような思想がアラブ人の間にはある。

そのため,会話が病気や死のような話題に及んだときは,遠まわしに触れるか,またはできるだけ触れまいと努めるか,そのどちらかの方法でその場をしのごうとすることが多い。 考えてみると,「マー・シャーアッラー(アッラーの思し召しのままに)」「アル・ハムド・リッラー(アッラーに感謝を)」など,アッラーへの祝福の言葉でアラブ人の会話が溢れているのは,「物事がうまく運ばれるように」と無意識のうちにささやかな祈りを捧げ,嫌なこと避けたいことを直接的な言葉で出すことを避けているのである。

この「ことだま」のような思想は,日本では結婚式のスピーチなどで,「もどる」「かえる」といった言葉が避けられるのもその一つであろう。アラブではとにかく悪い出来事を暗示するような言葉は直接的な表現で言わないようにしているのである。

NG話題やことばとしてアラブ人との会話で使わないほうがいい言葉を知っておこう:

1.不治の病,死を表す言葉

2.「かならず」「絶対」の意味を表わす言葉

3.神を冒涜するようなことば

4.太ったなど外見をけなすような言葉や言い方

最後は次の Quiz で締めくくろう。

Quiz:

久しぶりにムスタファさんにあったら,だいぶふっくらしていました。親しい間柄なので,「ちょっとふとったんじゃない?」と冗談を言ってもよいでしょうか。

A 良い     B ダメ

解説: アラブの人は日本の人ほど体形の微妙な変化を気にしない。そのため自分ではなんとも思っていなかったことを唐突に指摘されてまず驚く。そしてショックを受けてしまう人が多いだろう。外見のこと,とくに体重にかかわるようなことは,たとえ親しい間柄だとしても避けるのが無難である。

文化とナショナリズムは見えないところで関係し合うものだ。「本来ナショナリズムとはごく心情的なもので,どういう人間の感情にも濃淡の差こそあれ,それはある」と司馬遼太郎は書く。自分の所属している村が隣村からそしられた時に猛烈と怒る感情がそれで,それ以上に複雑なものではないにしても,人間の集団が他の集団に対抗する時に起こす大きなエネルギーの源にはこの感情がある。幾多の戦を通し,名将として歴史に名を馳せたシーザー(ユリウス・カエサル)は,人は自分の考えに固持しがちで,自分の都合の良いように世界を見る傾向があることを知り,次の言葉を残した。「人間はみな自分の見たいものしか見ようとしない」。

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