Japan eye 、 Arab eye        8万円男が見た、日本とアラブのあれこれ!

エジプトから遠く離れた日本にきたのは21歳のころだった。日本でもう24年以上の月日がたったが、生粋のエジプトのカイロっ子として、砂ぼこりの街角でサッカーボールを蹴りながら育ってきた私も45歳になった。心も体も生粋のアラブ人であるはずの私であるが、ここ数年、電車の中で「日本の方ですか?」と本気でビジネスマン風の日本の紳士に話しかけられたりと、日本色に染まりすぎたのか、などというおかしな不安に駆られてしまう。

 

エジプトよりも格段に日差しが弱い中で生活し続けた私は肌の色まで白くなり、何年かぶりに待ち合わせたエジプトの友人は、私がそばによって話しかけても私だと気づいてくれなかった。そんな予想外のあれやこれやに翻弄されながらも日本に来てからの「苦労の24年」は尊いものであった。

 

24年間、人生の様々なシーンには荒波の時もあれば穏やかな時もある。人生は、時に人を勝者にし、時にその波間に放り投げて溺れさせる。外国生活という現実と、家族や愛する人たちに囲まれた安らぎを求めて故郷に帰るという望みの間で立ち往生している自分がいて、「希望の列車はいつ止まる?」と自問を続けていることに気づく。

日本での経験談を聞いた人は、その話が終わらぬうちに、興味深い「成功秘話」に魅了される。なぜなら、それが刺激的で魅力的だからだ。

 

800ドル(凡そ8万円)と往路の航空券だけ持って日本に来たエジプト人の若者が、たった一人で困難な生活に耐え、生活費や学費を工面しながら優秀な成績で大学を卒業し、神のご加護により尊敬され、信頼される人物になる。言うなれば、全く異なる2つの文化、つまりアラブと日本のつながりにおける成功モデルである。

 

この人物像は、全体として外国生活という孤独な試みの魅力的なモデルかもしれないが、よく見れば、そこには多くの人が気づかない多くの穴があると気づくだろう。

カイロの大学を卒業し、カイロの空港から飛び立って日本で日本人学校に一年学び、学習院大学に入学した後に学士、修士、博士号を取り、様々なめぐり合わせのうえに私はここにいる。

日本に来てからは1日1日が必死そのもの。日本の滞在中に、母の重病、父の死、伯父の死、母の死など、次々と家族との別れを告げる知らせが届いた。そして、別れの瞬間に立ち会えず、一緒にその悲しみをともにできない苦しさや寂しさは想像以上のものだった。しかし、私が始めた挑戦はスタートしたばかりだった。

寂しさを紛らわすために勉強にも励んだ。勉強すれば、きっと何かできるようになる。なにか道が開ける。そう信じて勉強した。専門的な勉強ばかりでなく生活する術についても学んだ。

 

学習院大学の学部生の頃は本当に激貧の学生で学費、生活費を工面するのに大変な苦労をしていた。まさに自転車操業であった。

 

私は、金銭的なことから成城にある学生会館に無理を言って入れてもらうなどしていた。自己紹介で「私は成城に住んでいて、大学は学習院大学です。」などというアラブ人は石油関係の会社の金持ち息子か何かと誤解されることも多く、金銭的な苦境に立たされていることが伝わらなかった。今では笑ってしまうが、当時は誰にも苦境を理解されずに大変孤独な気持であった。

 

学費を捻出するためにやったこともない、通訳という仕事を引き受けて大失敗したり、海外の通訳の仕事では帰路、ロシアのホテルから出られなくなって「なつめやし(ドライフルーツになったもの)」だけで3日生き延びたりと数えきれない体験をした。大失敗の通訳の仕事の後も私には「学費」が重くのしかかり、めげる余裕もなく次の通訳の仕事に挑戦した。

 

気が付いたら、私は天皇皇后両陛下、エジプト大統領やパレスチナのアッバス議長、著名なジャーナリストの方々の通訳まで任されるまでに成長を遂げていたのである。そして、大学で教える仕事やNHKの「アラビア語講座」への出演、BS放送、エジプトの国営放送への出演、教本の出版なども手掛けられるようになっていた。日本のテレビでアラビア語(NHK アラビア語テレビ会話)を自分が教えることになるなんて予想もしなかった。

 

「アラブと日本の違うところは何だと思いますか。」と聞かれたらあなたは何と答えるだろうか。「言葉、文化、肌の色...。」僕の妻ならおそらくこう答えるだろう。

所が変われば、人の行動も変わるのである。先日、人の行動パターンについて面白い記事を読んだ。その中で、印象に残っている言葉がある。「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走りだす。そしてスペイン人は走ってしまった後で考える。」

 

これは、国民性や民族性の違いを警句的にあらわした、笠信太郎さんの有名なたとえである。もちろん、「歩く」というのは行動力のことを意味している。

 

 

では、アラブ人の気質を表すのに、どう言えばいいかと考えてみよう。アラブ人は「歩きながら考える」といえる。「歩きながら考える」──これは、行動力しながら、行動中に軌道修正もし、臨機応変に対応しながら進んでいく人のこと。というとほめすぎと非難されてしまいそうである。要は何でも一緒にやってみる人が多いのだ。まず計画だけを立ててみる。それから行動を起こす。そのあと反省する。というきっちりした順番で、なんてできないだろう。

 

日本のこどもはテスト前に「後一週間!」、なんてことを言ってきっちりした勉強スケジュール表というようなものまで作成していることがあるそうである。そんなきっちりした計画表を作れるのは本当にすごいことである。やり方を教えてもらいたいくらいである。

アラブではテスト勉強しながら、これもやってみよう、こうしたらいいかも、だとか結構とりとめもなく考えて、あっちやこっちに移ろいながら勉強しているイメージである。

 

人の行動にはそれぞれに一長一短があり、どちらもおもしろい。私の場合はとりあえず何でもやってみようと計画もそこそこに始めてしまう。始めてみてからあれやこれや計画し始める、とそんな感じである。失敗したら反省よりも前に「じゃ、こうやってみよう」と違う方法を試さないと気が済まない。そんなことを繰り返し続けるから反省よりも行動している時間の方がはるかに多いと考えられる。

 

日本人の場合は、私が考えるに「考えてから歩く」タイプといえる。そしてまた、「考えた結果、歩かない」という人も多い印象がある。失敗は少ないかもしれないが、失敗から学ぶこともあるから少しもったいないと思ってしまう。

 

アラブ人は結構なんでもやってみたいというタイプが多いから、当然失敗することも多くなるので大変である。しかし、失敗から学ぶことも多いだろう。やはり、どれがよいとは一概に言えない。失敗せずに深く学ぶことができるなら一番よいのだが。

アラブ人と日本人の気質の違いについてたとえる際に私がよく引く例なのだが、アラブ人は、計画を立てるときは、変更を前提にする。

 

日本人の場合は、「変更なし」を前提に計画を立てる。だから娯楽としての旅行でもバスの時間が遅れたなんてことが発生したら大事件!である。

アラブ人としては、どんな難局に遭っても必ず「どうにかなるだろう、どこかで修正できるだろう」と物事の実行に取り組む。

 

「十分に考えてから歩く」日本の人は、細部にわたって徹底したリスク管理を考えたうえで計画を実行に移していく。

 

とにかく、アラブ人は「思いついたことを口にしてみる、または行動に出てみる」。これがアラブ流の「考えながら歩く」という性向であるだろう。

 

 

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